冬の十勝岳温泉
冬の羽田空港は快晴、富士山がすごく近くに見える。
北海道の十勝岳温泉には、今から30年くらい前に毎年のように行っていた北海道ツーリングの際、「凌雲閣」に宿泊したことがあった。
そのときの印象はといえば、安普請の建物で夜に強風が吹けばガタガタと窓が揺れるまさしく山上の宿であったが、露天風呂からの眺めは素晴らしく、好みのぬる湯。さらに夕食に毛ガニが一杯つくという、手ごろな宿泊料にはもてあますほどの好印象だった記憶がある。
時が経ち、いつの間にか建て直されていたようで、今や風にもびくともしない立派な旅館に生まれ変わっていたが、ある日、旅行会社のプランに「十勝岳温泉三連泊」というのを見かけ、衝動的に行きたくなりついつい申し込でしまった。あの地にもう一度行ってみたい。その思いに抗うことはできなかったのだ。
そのあといろいろ調べてていくうちに、航空券を早割でとり、宿も直接予約したら、空港からの送迎分の交通費を足しても、2万円近く安くすむのでそちらに変更した。ごめんね、旅行会社さん。
懐かしの凌雲閣
羽田発旭川行きの飛行機は予定通りに飛び立ち、旭川空港でバスに乗り上富良野駅まで。そこから村営バスに乗り換えるのだが、まだ一時間以上は時間がある。そこで、町内の「第一食堂」で時間潰しの昼食をとることにした。外観こそ整ってはいるけれど、店内はかつて北海道にツーリングで訪れていた時代の、昭和まんまな佇まい。定食を含む大衆食堂の定番メニューからオムライスを注文し、あとはビールがあれば最高なのだがメニューにはない。ふと、席の横にあった冷蔵サーバーを覗くと缶ビールがあるではないか。「ビール飲めます?」と聞くと「はいはい」とすんなりと提供され、これで大衆食堂呑みの成立だ。
つぎつぎとやってくる地元の人たちに混じり、オムライスをつまみにビール2缶でちょうどバスの時刻。やってきた村営バスは20人乗りほどのマイクロで、1時間弱で凌雲閣に到着。ここでこれから三連泊の、のんびりタイムのスタートとなる。
30年ぶりの凌雲閣は見違えるように新しくなっていて、しかも前回は真夏だったが今回は真冬。何もかもが目新しい。通常チェックインは15時だが、バスで13時半すぎに着いたので、早めにチェックインすることができた。だって、次のバスは17時すぎ着だものね。
着くそうそうにお風呂へ。母屋は改築されたが、お風呂はおそらく昔のまんま。ここの露天風呂からは十勝岳方面の絶景が拝める。十勝岳方面というのは、すぐ目の前にある三方山に隠れて十勝岳そのものは見えないのだが、それを差し引いてもの絶景。あいにく冬季は天候がすぐれない日が多く、そうすると視界はほとんどない。この日も御多分にもれず真っ白の世界。それでも茶褐色の硫酸塩泉に浸かると、来てよかったぁと思わず体から力が抜ける。
湯船は二段になっているが、下段の湯船は湯温が30度くらいしかないので冬場は辛い。一瞬入ってから上段の湯船に移動。こちらは40度弱でぬる湯好きにはまさしくの適温。1時間どころか2時間だって入っていられそう。三泊もするのだから、あせる必要もない。まずは部屋でビールが定番だ。部屋はひとりなので六畳。窓からは玄関方面が見えるが、一面の冬景色で真っ白。バス停がほぼ三分の二も雪で埋まっている。
早くにチェックインしたが、風呂と行ったり来たりしているうちに、あっという間に夕食の時間。品数の少ないプランだったが、それでも酒のつまみには十分だ。十勝岳の麓の町、上富良野は「かみふらのポーク」が名物となっていて、主菜は三晩ともポーク。一泊目はソテー、二泊目はアスパラポーク巻き、三泊目はお鍋と、日替わりで提供された。生ビールはサッポロクラシック、北海道だなぁ。かみふらのポークをつまみつつ、日本酒もすすむ。
山間にある雪景色の露天風呂
連泊の醍醐味は、当たり前だけど朝に帰らなくてよいこと。さらに通常のチェックアウトの10時からの閑散とした雰囲気のなか、お風呂や部屋でのんびり過ごすのがこのうえなく気持ちいい。お風呂に行ったり来たりで部屋で一杯というのが、連泊の楽しみ方の極みだ。それでも、この日は昼から近くの吹上温泉の露天風呂に行くことにした。昼すぎの村営バスに15分ほど乗って「吹上いこいの広場」で下車。そこから山道を降って5分ほどに、山間にある無料混浴露天風呂がある。冬場なので雪で道が埋まっていてなかなか先に進めない。途中で一回ころんで雪にダイブ。なんとかたどり着いたそこには、雪の中にポッカリあいた湯船にこんこんとお湯が涌いている。
ドラマ『北の国から』で田中邦衛さんと宮沢りえさんが入ったことで、全国的に知れ渡たった人気の秘湯である。ここに初めてに来たのはドラマ放送前で、その当時も多くの入浴者が絶えないくらいだったが、さすがに真冬とあって先客は一人だけ。帰りのバスまで3時間ちかくあるものだから時間は十分ある。そのあと二人の入浴者が来て、彼らが帰ったあとは小一時間ほどひとりきりで、湯の流れる音のほかは物音のしない森林の雪景色のなか、ひたすらぼーっと過ごした。
バスの時刻まであと1時間くらいとなったとき、やって来た二人組の若者のテンションがあまりにも高いので、そこでおいとま。歩いて10分くらいにある「白銀荘」でひとっ風呂浴びて宿に戻ることにした。白銀荘のお風呂は内湯、露天ともども広くて、湯量豊富な湯がかけ流しされている。ここも最初に来たときは、もっと素朴なロッジだったはずだが、今や大きくて立派な施設になっていて時の流れを感じてしまう。でも、凌雲閣の露天風呂も吹上の露天風呂も、お気に入りの湯が昔と変わらずの佇まいで、変わらなくいてくれたことが、改めてうれしい。
連泊の醍醐味を満喫
三泊目は、ひたすらのんびり。三泊八食の昼食付きのプランだったので、お昼は2日目がカレー、3日目が蕎麦と、いたせりつくせり。朝食前にひとっ風呂、朝食後にひとっ風呂、昼食前にひとっ風呂、昼食後にひとっ風呂、おやつがわりにひとっ風呂、夕食前ににひとっ風呂、夕食後にひとっ風呂、寝る前とにひとっ風呂と、ビールを挟みつつ部屋の往復でひたすら過ごした。あいかわらず天候は雪まじりで、外に出てみたはいいが眺望はまったくない。それでも、お湯につかっている間はそれだけで極楽なので、たいした問題ではない。露天はぬる湯だが、内湯はけっこう熱い。43度くらいなので、大きな岩が配置された豪快な造りではあるが、ぬる湯好きには長湯はできない。露天からあがるときに体を暖める程度でしか入らなかったが、普通の人(42度が適温の人)にはなかなかいいお湯ではないだろうか。知らんけど。
内湯にはもうひとつ酸性系のお風呂があるのだが、冬季は閉鎖。前に来たときに入ったとは思うが、30年前なのでまったく覚えていない。女性用のお風呂は内湯は男湯とほぼ同じ造りだが、露天の横幅が狭く半洞窟風呂のようになっている。夜と朝に入れ替えとなるが、こちらは一回入っただけだった。
絶景の露天風呂
最終日の朝、昨日までとはうって変わって、晴れ間が見えて視界も良好。まずは絶景を眺めながら朝食をとる。登山者が続々と十勝岳方面に登って行くのが見える。それが目的でここに宿泊している人は多い。同宿の連泊者の一人も、満を持して山に向かっていった。温泉だけで引きこもりのように連泊している自分は、むしろ少数派なのかもしれない。朝食のあとは、チェックアウトまで露天で過ごした。目の前のベールがとかれたかのような風景に、息をのむ。ああ、もう一泊したい。でも、このあとまた天候が崩れる予報なので、つかの間のご褒美みたいなものなのか。それでも、前回来たときは夏でそれはそれでよかったが、冬の風景は段違いにすばらしい。この雪景色を見ながらの温泉。雄大な風景のなかでの大好きなぬる湯三昧は、この先も忘れることはないだろう。
10時前の村営バスで、上富良野駅まで戻る。飛行機の時間は夕方なので、上富良野の町中にある「増屋」で一杯。かみふらのポークの「豚さがり」が美味しいと評判の焼肉店で、昼前の口開けとあって最初の客となった。七輪の炭火で焼く。もちろん生ビール。豚さがりのタレ味と塩味、そしてホルモンで生ビールとくれば、呑んべえにはたまらない。梅割りを頼むとブラックニッカの瓶に入って出てきた。呑んで減った量で会計が決まるという、見たこのことのないシステムに戸惑うが、口当たりがよくてぐいぐいいけちゃう。やばい、このあとの飛行機に乗せてもらえなくなるので、ここは自重。しかし、豚も酒も旨かったぁ。
JRで富良野へ出て町を散策。富良野駅で、そういえばあの線路傍を、蛍が勇次くんの乗った列車を追いかけて疾走したんだっけな、などと北の国からのワンシーンを思い浮かべているうちに、空港へのバスがやってきた。これにて、三泊四日の十勝岳温泉連泊の旅は終了。また来たいと思うのではあるが、30年後だったらもう無理だからね。
(text & photo by shunji izawa)
快晴の羽田空港
上富良野駅そばの第一食堂
オムライスで一杯
かつての凌雲閣
新しく生まれ変わった凌雲閣
凌雲閣の露天風呂
湯治コースの控えめな夕食
吹上温泉・混浴露天風呂
白銀荘
凌雲閣の内湯
雲が晴れた絶景の露天風呂
上富良野の町中にある増屋で焼肉
蛍が駆けぬけた富良野駅