酔っ払いはピンク色
温泉と酒場は同意語に等しい。どちらも「ええ気分」という意味で。
そんなわけで夜な夜なというか、昼な昼なというか、日々呑み歩いているわけだが、達人会のメンバーとも呑み助をロックオンして呑みに行くこともしばしば。で、今宵は都内屈指のピンク色のラブホ街を擁する、鶯谷にくりだした。
メンツは、会の青年部?、お銀さんと助さん格さんとの計4人。ナニこれの水戸黄門だが、まあ違和感はない。日本全国を温泉行脚する強者たちだからね。
まずはお銀さんと先行で「鍵屋」へ。ここは女性のみお断りを未だに堅持している古典酒場。元々は、女だけでいると周囲の男がちょっかいだしたり、それが元で男客同士が揉めたりと、いろいろ面倒なのでできた昔の酒場のしきたりみたいなものだが、今やめったにお目にかかれなくなった。でも、こういう古典酒場を好む女性陣もわきまえたもので、それを踏まえ男女一緒で粋を楽しむ稀有な場所でもある。
凛とした雰囲気の中で徳利を傾けているうちに、助さん格さんも鶯谷入りし、河岸を変えて「ささのや」へ。駅そばの陸橋沿いにある焼き鳥屋で、1本80円(最近10円値上がりしたようだ)。店内のテーブル席でも呑めるが、ここは店外の立ちで呑むのが通。もくもくとあがる焼き鳥の煙を浴びながら(さらに道ゆく人の視線も浴びながら)、焼きあがった焼き鳥をセルフで皿に盛って、夜の空気にあたりながらグイグイ呑む。ここまでいけば、いっぱしの呑んべえといってもいいだろう。
鶯谷といえば、都内屈指のラブホ街ではあるが、安く呑める大衆酒場もあって、なぜだかお忍びカップルよりも酔っ払いのほうが幅をきかせている。この店も立地的にはラブホ地域だが、エロエロというよりはベロベロという言葉がふさわしい。
で、ラブホ街に突入する。まあ、ある程度の年齢を重ねると、こういうピンクな雰囲気も鈍感になるもので、我が物顔で奥に進み、ちょっと怪しい感じの中華屋「東瀛 (とうえい)」へ。ここは朝の9時からやっているので、朝呑み、昼呑みなんでもござれで、安くて旨いとあって夜呑みにも重宝する。ビルの上にはきれいなおねいさんが、体も心もほぐしてくれるマッサージ屋もありいの、客もこの街さながらな雰囲気を醸し出している、鶯谷呑みでははずせないラブ町中華だ。
このあたりまでくると、皆が完全に酔っ払いなので、何を話しているのか、何を呑んでいるのかが曖昧になる時間帯。達人会ってどうよ、なんてちょっと危ない話などを持ちだしたりして、有意義なのか無駄なかわからない時間が過ぎていき、もう10時過ぎか。ラブホ街の中にある裏口から出て、さあ、締めでもう一軒行こう。
鶯谷駅前の迷店「信濃路」。もともと立ち食い蕎麦屋と呑み屋が合体したような酒場で、かつては都内に蒲田、平和島、大森、そしてここ鶯谷と4店舗あったが、今や蒲田と鶯谷だけになってしまった。安くて、酒のつまみメニューが充実していて、蕎麦やカレーなどの締めものもあって、24時間営業でいつ行っても重宝したものだが、コロナ禍以降は23時まで。入って左がカウンター、右がテーブル席だが、テーブルがいっぱいだったので左へ。
いつもはほぼひとり客用のカウンター席を、貸切でほぼ立ち飲み状態。入店と同時にラストオーダー宣言を受け、酒とつまみを怒涛のように注文したあげく皆が酩酊、散開とあいなった。
そんで、何が言いたいかといえば、温泉も酒場も、どちらも「ええ気分」。
(温泉呑んべえ)
時刻表ミュージアム
東京、中央線中野駅前の風景も随分と変わった。以前の開放感ある北口ロータリーは陸橋ができたりして窮屈な感じになったが、中野のもつ都会と庶民的がいい感じに混ざった空気は以前のままだ。サンロード商店街を通り、今やアキバを凌ぐサブカルの聖地ブロードウェイを抜けて、道沿いをしばし歩くと「時刻表ミュージアム」がある。
時刻表ミュージアムは、当会の会員である鈴木哲也さんが、子供のころからかかさず買い続けたJTB時刻表をメインに展示する、自宅併設で開館している私設博物館。今や、マニアックな中野にふさわしい、通好みのスポットとして知られている。そこに、達人会のメンバー三人(タカオジさん、ゆおじさん、すーさん)とともに訪れた。ちなみにJTB時刻表とは、全国の鉄道を始めとした公共交通機関のの時刻表を掲載した、1925年よりから発刊されている月刊誌である。
入場切符には、改札鋏で入場者自らがパンチを入れる。
自宅の一室を利用したといえど、何?この本格的資料館の雰囲気。
816冊(今現在)の時刻表を始め、数々の鉄道アイテム、グッズや資料に関連書籍が、所狭しと展示されている。
鈴木館長(車掌長)から展示内容や開館への思いなどを訊きながら、様々な展示物を観てまわり、ジオラマのなか走る列車を眺めているうちにあっというまの一時間。
鉄ちゃん(鉄マニア)なら垂涎ものだし、鉄ちゃんじゃない自分にとってもとても楽しめた。公式ホームペジから申し込めば、完全予約制で観覧できる。
鈴木館長
「時刻表ミュージアム」ホームページ
中野まで来てそのまま帰れるわけわない。中野には都内でも屈指の呑み屋街がある。かつて中野に住んでいたころによく訪れた「ブリック」。1951年創業の俗にいうトリスバーで、中野には1964年から店を構えていた老舗バー。背筋がピンとしたバーデンダーが物静かにカウンターに立ち、客もそれに見合った呑み方をする、大人の場所だったここも諸事情で2022年4月に閉店。自分もその報にショックを覚えたものだが、なんと復活しているではないか。
元オーナーが以前の雰囲気を壊さないという条件で代替わりという。前よりも明るい照明、カジュアルな雰囲気。料理メニューも増えたが、名物のトリハイの値段は以前と変わらずリーズナブルに提供されている。久しぶりのブッリックは、やや居酒屋ノリには馴染めなかったが、懐かしいひとときをしばし過ごせた。今思えば、ブッリックと双璧をなした中野の伝説級の喫茶店「クラシック」も、残して欲しかったものだ。
(温泉呑んべえ)
時刻表ミュージアムは、当会の会員である鈴木哲也さんが、子供のころからかかさず買い続けたJTB時刻表をメインに展示する、自宅併設で開館している私設博物館。今や、マニアックな中野にふさわしい、通好みのスポットとして知られている。そこに、達人会のメンバー三人(タカオジさん、ゆおじさん、すーさん)とともに訪れた。ちなみにJTB時刻表とは、全国の鉄道を始めとした公共交通機関のの時刻表を掲載した、1925年よりから発刊されている月刊誌である。
入場切符には、改札鋏で入場者自らがパンチを入れる。
自宅の一室を利用したといえど、何?この本格的資料館の雰囲気。
816冊(今現在)の時刻表を始め、数々の鉄道アイテム、グッズや資料に関連書籍が、所狭しと展示されている。
鈴木館長(車掌長)から展示内容や開館への思いなどを訊きながら、様々な展示物を観てまわり、ジオラマのなか走る列車を眺めているうちにあっというまの一時間。
鉄ちゃん(鉄マニア)なら垂涎ものだし、鉄ちゃんじゃない自分にとってもとても楽しめた。公式ホームペジから申し込めば、完全予約制で観覧できる。
鈴木館長
「時刻表ミュージアム」ホームページ
中野まで来てそのまま帰れるわけわない。中野には都内でも屈指の呑み屋街がある。かつて中野に住んでいたころによく訪れた「ブリック」。1951年創業の俗にいうトリスバーで、中野には1964年から店を構えていた老舗バー。背筋がピンとしたバーデンダーが物静かにカウンターに立ち、客もそれに見合った呑み方をする、大人の場所だったここも諸事情で2022年4月に閉店。自分もその報にショックを覚えたものだが、なんと復活しているではないか。
元オーナーが以前の雰囲気を壊さないという条件で代替わりという。前よりも明るい照明、カジュアルな雰囲気。料理メニューも増えたが、名物のトリハイの値段は以前と変わらずリーズナブルに提供されている。久しぶりのブッリックは、やや居酒屋ノリには馴染めなかったが、懐かしいひとときをしばし過ごせた。今思えば、ブッリックと双璧をなした中野の伝説級の喫茶店「クラシック」も、残して欲しかったものだ。
(温泉呑んべえ)
何十年ぶりかの浅草演芸
当会の元会員でもある、いなせ家半七師匠が、「浅草演芸ホール」にかかっている「五代目 春風亭柳朝 三十三回忌追善興行」に出演するので行ってみた。浅草で演芸鑑賞なんて、何十年ぶりだろうか。半七さんは、五代目 春風亭柳朝師匠のお弟子さんだったということで、当日は柳朝師匠ゆかりの演者が二十数人、時間も朝11時40分から夕方の16時半までみっちり演じる。
浅草といえば、昼呑みスポットでもある。午後3時。さすがに三時間も観続けていると、心はすでに呑みモードにシフト。仲入りで離脱して近くにある「水口食堂」へ。
正式には、食事処・酒肴「水口」が店名なのだが、水口食堂が通り名として定着している。食堂という名ではあるが、実際のところは呑んべえの巣窟。朝10時から開いているので、浅草界隈の昼呑みの聖地でもある。浅草には「神谷バー」やホッピー通りなどもあって、昼呑みにはことかかない。
まずは、赤星と湯豆腐でひと息。一時間半ばかりうだうだ呑んで、そろそろ寄席も終演の時間か。自分にとっての仲入り後は、酒演といったわけだ。
浅草の中心街から少し離れた裏道にある「シナノヤ」。いわゆる角打ちってやつ。浅草で角打ちといえば、創業130年の酒屋「四方酒店」で何度か呑んだことはあるが、ここは初めて。店の中というか、隅に倉庫の片隅といった雰囲気の呑み所があって、隠れて呑んでいるような妙な背徳感がある。
角ハイボール(350ml缶)で、しばし。さて、帰ろうかと駅までの道すがら、ええ感じの中華屋がある。
「生駒軒」。見るからにこれぞ地元密着型の町中華といった店構え。思わず吸い込まれて、餃子にビール中瓶。
今度こその帰り道、そういえばあそこはどうなってるのだろうと「浅草地下街」をのぞいてみたら、雰囲気はあいかわらずのディープスポット。ただ、何度か呑んだ「おにぎり酒処 たんぼ」や「亀寿司」、そのほか怪しい雰囲気のタイ料理屋をはじめ、何店かがなくなっていたり、別の店に様変わりしていた。どうやら、ここも新宿のゴールデン街や思い出横丁と同じく、若い世代のオーナーが店開きしているようだ。古い店がなくなっていくのは寂しい気もするが、こうして昔ながらの雰囲気が残っていくのはうれしい。
なんせ、1955年から当時の姿で生き延びているのだから。
(温泉呑んべえ)